日本では上古には呪術や神道行事の中に奇術はありました。火渡りや探湯です。 奇術が娯楽と共にされたのは中国から仏教と共に伝来した散楽雑技からで宮廷を中心に演じられていたと言われており、それが中世の終わり頃には京都の四条河原に小屋掛けをして見せるようになりました。江戸時代には名人が輩出されて
素人の間には座敷手品がはやり奇術書ブームを生み出しました。手品の種類は伝授本やビラ絵などで明らかにされておりますが、それらに記録されている手品は350種類位ありました。 江戸時代も終わりに近づくと浮かれ蝶、独楽、水芸を交えて行われており、その後 西洋手品が輸入されるようになると西洋奇術をおこなう人が相次ぎ、日本の手品は衰退の一途を辿りました。 <手品と手妻>
「奇術」と言われているものは古くは「めくらまし」とか「放下」とかいいました。色々な表現法が用いられておりましたが、江戸時代以降は「手品」とか「手妻」などと呼ばれることが多かったようです。手品は「手の品」つまり「手のあや」から来たもので、手妻の「妻」は電光石火の稲妻の「妻」と同義であると言われております。
<日本の手品の特徴>
仕掛けよりは手際をタネとするものが多く、口上や後見のからみも芸であったといわれ、美しさやお客様を楽しませるのも芸であったそうです。和妻の楽しさの半分は下座囃子が支えていた時代もあり、独立した音楽もあったようですが、長唄やその合の手、合方なども間に使われていたようです。
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