講談は前に釈台に置き、物語を読む寄席演芸です。その元は辻講釈と呼ばれ、太平記などの軍記物を注釈を加えつつ調子を付けて語るものであったといいます。
文政年間(1818年〜1829年)には話芸として確立し、武勇伝や仇討ち・お家騒動・政談のほか、庶民の生活を描いた世話物や巷のニュースを講釈するなど、時代を経て題材も多様化し、さらに講談を参考にしてたくさんの歌舞伎や浄瑠璃などの作品が作られました。明治から大正にかけては立川文庫など講談を文字に起こした本が出版されて、大衆小説の元となります。新聞にも講談の速記が掲載され、人気を博していました。
<大阪との関わり>
大阪で発達した上方講談は明治から大正にかけて大変な盛況を誇り、大阪市内各地に講釈場が設けられ、人々は講談を楽しんでいました。上方講談は「太平記」「太閤記」「難波戦記」「英雄・大塩平八郎」「浪花侠客伝」等、大阪を舞台にした演目を多数持っています。中でも「難波戦記」では、徳川家康は堺で討死、大坂城が燃える中、豊臣秀頼公と真田幸村は軍船で薩摩へ落ち延び、豊臣再興の機会を狙うという、大阪方から見た歴史が描かれています。
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